2016年のNHK大河ドラマ、
<真田丸>の主人公である
真田信繁(さなだのぶしげ)。
真田信繁より、真田幸村の名で
広く知られていますが、
同一人物です。
真田信繁が実名であり、
幸村は後々の名前です。
話題の大河ドラマの真田丸を
より深く楽しむためにも、
真田信繁の波乱の生涯を
まとめてみました。
1567年 真田信繁誕生!
真田 昌幸の次男として生まれます。
1582年 3月 主君武田の滅亡。
仕えていた主君の武田氏が滅亡して、
織田信長に仕えなおします。
というのも、真田家は周りを
上杉氏、織田氏、徳川氏、北条氏
という強豪に囲まれている弱小国なんです。
1582年 6月 主君織田氏の本能寺の変で滅亡
仕えなおした織田氏がたった3か月で滅亡します。
えっ!!もうっ?てかんじですね。
1582年 10月 臣従先をひたすら探す!
武田氏、織田氏をなくしたので
必死になって主君を必死で探します。
上杉氏、北条氏と転々として、結局、
徳川家康に従属します。
1582年 第一次上田合戦
徳川家康と決裂して、
上杉氏に従属しなおします。
そのときに信繁は、
上杉氏の人質になります。
1587年 豊臣秀吉に臣従
またまた、ボスが変わります。
豊臣秀吉です。人質にもなります。
そして、秀吉の命で、以前決裂した
家康の配下になります。
1590年 北条氏との闘い
秀吉と共に小田原へ出兵。
北条氏と戦うはめに。
1600年 関ヶ原の戦い
信繁(幸村)と昌幸(父)は
西軍(豊臣側)につき、
信幸(兄)は東軍(徳川側)につく。
1614年 大坂 冬の陣
豊臣秀頼の依頼で、大阪城に入城。
真田丸を築き、戦う。
真田丸とは、東西180mの半円形の曲輪。
真田兵、5000人の兵で
15000人の徳川軍を倒したとも・・・。
1615年 大坂 夏の陣
49歳にて討ち取られ死亡。
真田信繁の隊の戦力は凄まじく、
徳川家康の本陣に攻め込んで
馬印を倒しています。
家康自身も、
自害を覚悟したという逸話もあります。
圧倒的な兵力に勝る徳川家康に
追い詰められ、ついに討ち取られる。
最後の言葉は、
「わしの首を手柄にされよ」と
武士としての生き方を全うしています。
弱小国として、
必至で生きるため主君を
何度も変え、戦い、生き延びてきた
真田 信繁。
アニメやゲームでも超イケメン武将として、
描かれることが多いのは、
本当に芯の強い、
<武士>だったのだと思います。
真田 信繁は、
NHK大河ドラマの真田丸で、
一年間に渡って綿密に描かれます。
是非、信繁の<生きざま>を感じましょう!
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